続・彼女に会いたくて・・・
2002/11/21

「冬はつとめて・・・」なんてのがありましたが、夜明け前はどんな季節でも気持ちのいいもんですね。黒とも紫ともつかない空が、ツーンと緊張感を誘っていますよ。今日も空模様は御機嫌が良いようですね。今日も良い釣りをしましょう。

彼女を見かけてからひと月、毎週この空を眺めています。大と二人で飽きもせず、あの砂地のテラスに通っているんですよ。幸い彼女はあの弛みがお気に入りのようで、大岩のエゴから出てきては底石を渡り歩いていますよ。しかも不思議な事に、毎週その姿を現してくれるんですよ。惚れ惚れとする見事な尾鰭で、私達を誘っているようですね。手を替え品を替えアプローチしているんですが、なかなか振り向いてもらえませんねぇ。

「今日は会えるだか?」
握り飯を手渡してくれるカミサンの微笑は、ちょっぴり意地悪ですね。
「オゥ、今日は餌ぁ替えたからなぃ。昨日オニチョロ捕っといたでな、何とかなるだず」

オニチョロと云うのは川虫なんです。図鑑で調べるとカワゲラの仲間のようですね。岸近くの浅瀬にいるので、捕り易いんですよ。チョロやピンチョロと呼ばれるカゲロウの仲間より大きいでしょ。オニチョロは赤い虫と黄色い虫がいるんですが、黄色い方が釣れますね。黄色に黒い縞模様があるので、すぐに分かるでしょう。川虫は釣れますよ。それもその筈、渓魚の定食みたいなもんですからねぇ。夏にオニチョロが羽化するまで、彼女達は川虫を貪っているようですよ。

魚の臓を見てみましょうか?春から初夏にかけて、やっぱり川虫ばかりですねぇ。胃袋の虫達は溶けてしまっていますが、食道に残っている虫はまだ解りますよ。ほら、オニチョロがいますよ。大型の魚、特に岩魚がオニチョロを好むようですね。山女魚は?チョロが多いですね。小さめの虫が好きなのかなぁ。魚にも好みがあるんですかね。

さて、オニチョロを連れて彼女に会いに行きましょうか。アッそうそう、川虫を連れて歩くにはチョットしたコツがあるんですよ。川虫はすぐに死んじゃう弱い虫なんです。まずは水分のようです。水中の虫ですからねぇ、水分だけは欠かせませんよ。それともう一つ、小さな箱に沢山いれてしまうと早く死んでしまうようですよ。ストレスに弱いんですかねぇ。プラスチック容器、タッパで良いですね。楽に運べる最大のものを選んでください。中には水を含ませたガーゼを敷き詰めましょう。そこにオニチョロを入れておくだけ。簡単でしょう?

私は、20cm×10cm×10cm位の木箱を使っています。中には充分に濡らした水苔が入ってるんです。木箱を開けると、湿った水苔の上を虫達が激しく動き回っていますね。おっと!虫たちが木箱を這い上がって逃げてしまいましたよ。そうなんです、木箱は虫たちにとって登り易い素材なんですね。私の餌箱を良く見てくださいな。縁に透明のプラスチックが貼ってあるでしょう?これだけで虫たちは逃げ出せないんですよ。ネズミ返しならぬ川虫返しですかね?餌箱を明けた時、プラスチックが目に入ることがチョッとだけ不満なんですけど・・・木箱に風情を付け加えましょうか?台所のガステーブルに火を点けてください。そして木箱を少しずつ炙ってみてください。ほらほら、木目が綺麗に出てきたでしょう?う〜ん、渋くなりましたねぇ。

あれ?無駄話をしている間に陽が昇り始めてしまいますよ。さぁっ、彼女に会いに行きましょう。
「お〜ぃ、大!行くど〜!」
通い慣れた東沢の斜面、弛みの下流50m程に降りましょう。
「ふ〜ぅ、こんだけの坂んなりゃぁ汗かくわなぃ」「オラァ大丈夫だで」
「そうかぁ。ほんじゃぁ、仕掛け作って行くかゃ?」「うん」
狙いの魚がいるときは下流に降りましょうね。間違っても直接ポイントに降りてはいけませんよ。97度の円錐の底面と水の屈折で、魚に走られてしまいます。走った魚は底石に貼りついて、”探り”でもしなければ捕れませんよ。どうせなら、釣りたいでしょう?

「大、流してみれや」例のテラスで彼女へのプロポーズ開始です。
ポトッ、スーッ。大岩のエゴを直接狙ってますね。彼女が一番気に入っている場所ですよ。朝一番には、ここから出て来ることが多いんです。

ポトッ、スーッ。ユラッ。出て来ましたよ。腰を左右にゆっくりと振りながら、アレ?オニチョロを通り過ぎて対岸の木陰に入りましたね。こんな時、諦めて仕掛けを上げてはいけません。川虫は通常そんな動きはしませんよね。魚に「何かヘンだなぁ」と思われないように、出来るだけ下流まで流したほうが良いようです。

スーッ、ピタッ。アタリか?いや、そうではなさそうですね。大は竿を止めたままでしょ。オニチョロで弛みを狙う時、たまにあるんですよ。オニチョロが底石にしがみ付いちゃうんです。もう少し浅いタナを流したほうが良いのかな。下流側に、そっと剥がしてあげましょう。

スーッ、プルッ、クンッ。うまい。掛かりましたよ。12〜3cm程のチビですね。他の魚を散らさないように、静かに取り込みましょう。
バシャッ!
「ばか!あにやってるだぁ!」
大が掛かったチビを、いきなり水面に上げてしまいましたよ。あちこちで、黒い影が走ってしまいましたね。大が泣きそうな顔で近づいてきます。仕掛けの先では12〜3cm程の綺麗な居着きが暴れてますよ。
「オイ、チビが可哀相だで。放してやれゃ」「うん」
手を水に浸けて充分に冷やしてから放しましょうね。冷やさないで触ると、岩魚が火傷してしまうんです。10cm以下のチビになると、手の中で死んでしまうこともあるんですよ。気を付けて下さいね。

「大、あんしただぁ?あんな事したら、みんな走っちまうでゃ」
「そんな事、知ってるわぃ。でも、おっかなかっただょ」
「おっかねぇ?あんなチビ、おっかなくも何ともねぇでゃ」
「違うだ。チビ取り込む途中でな、彼女がチビ食いにきただよ。おどけたぁ。父ちゃん、岩魚は岩魚を食うだか?」
「おぅ、食うで。だけど、オメェ良いもん見たなぁ。来週はルアーでも持って来っかぁ」

渓流で釣り師達が囁きます。
「魚は山女魚までだゎなぁ。岩魚は獣だで」

今週も彼女には会えませんでしたねぇ。
でも、収穫はありましたよ。彼女、獣になっていたんです・・・

つづく・・・