彼女に会いたくて・・・完結編
2002/11/26

彼女が獣になっていたあの日以来、私達は相変わらずあのエゴを狙っています。ミノーには反応が良いですね。スッと出てきては様子を見て、ユラリと反転して帰っていきます。あれから餌もいろいろ試しましたよ。ブドウムシ、ドバミミズ、クロカワムシ。彼女、餌には興味がないようで、なかなか顔を出してくれませんね。さて、今日はどんな釣りになることやら・・・

息子は相変わらずミノーとスプーンですね。近所の子供達と溜め池でバス遊びをしていたので、ルアーの扱いは慣れているようですね。サイドキャストで頑張っていますよ。私ですか?エヘヘ・・・今日は昔とった杵柄です。ちょっと気恥ずかしいんですけどね。フライです。もう、餌と提灯毛鉤は諦めましたよ。この一週間、迷い続けたんですけどねぇ。考え抜いた結果、重い腰を上げてロッドに手を伸ばしました。決してフライに偏見を持っているわけではないんですよ。フライは私の好きな釣りの一つですし、ハマッた時期もあったんです。今でも梓川や木曽川では「イエローストーンを行く伝説のバックパッカー」になりきってます。でもね、彼女にはフライを振る気にならなかったんですよ。

あんなに立派な居着きなんて、この沢では滅多に会えませんよ。せっかくだもの、いつもの提灯で釣ってみたいですよ。提灯はフライと違い道糸にアソビが無いので、掛かった瞬間ガツンって手元に来るんです。岩魚は瞬時にテンションを感じますから、鉤を吐き出すのも早いんですね。そこが勝負時なんです。岩魚がテンションを感じてから吐き出すまでの時間にアワセるんですよ。この緊張感がたまらないんですね。でももう、そんな事は言ってられなくなりましたよ。息子と二人で二ヶ月も通っているんですからね。

今日はストリーマーで行きましょう。小魚を模したフライです。ですから、ただ流すだけではなく、フライを水中で泳がせるんです。息子が持ってきたミノーに考え方が似てますね。昨夜作ったのは、「シルバー・ヒルトン」モドキ。シルバー・ヒルトンは元々スティールヘッド用なんですが、ブラウントラウトに滅法強いと本栖湖のフライマンが言ってました。グリズリーがあれば作れますよ。今日は岩魚狙いなので、シルバーをゴールドに替えましたよ。スレッドは赤。アレ?「キル・ザ・キング」に似てますねぇ。まっいいか。「キル・ザ・キング」は岩魚狙いの毛鉤ですからね。

さて、始めましょうか。息子は何時ものように大岩のエゴを直接狙ってますね。この一週間、ルアーを手に風呂に入ってましたからねぇ。ミノーの動きはシュミレーションしている筈ですよ。今朝、家を出る時は自信満々でしたよ。私は下流の弛みを流して待ちましょう。彼女はエゴを出た後、底石を渡り歩きますからね。その時を狙ってみましょうか。

釣りなんてこんなもんですね。

息子の一投目に彼女は出てきたそうです。スゥッと現れ、流れに乗りながらミノーを観察していたそうです。その頃、私は毛鉤を対岸に沈め、沈み具合を確かめながら沢を横切らせていました。息子のミノーを観察していた彼女は、フッと下流に消えたそうです。

グンッ!「えっ?」慌ててアワセた私を救ってくれたのは、#2の柔らかなフライ・ロッドでした。ギュッとロッドを絞り込みんだ彼女は一直線に張りつめたラインの先で、あの惚れ惚れするような尾鰭を激しく左右に振っています。底石に逃げ込もうと、体中をくねらせています。そう、その姿がラインとロッドを通して私の頭の中に飛び込んで来るんです。
「父ちゃん!やったか?」息子はフライロッドを抱えて走ってきます。
「ちょっと待てゃ。こいつぁ良い魚だでな」
左右にブルブルと暴れる彼女が少しづつ寄ってきます。ほど良いところで、彼女はその顔を水面に出しました。ゆっくりと空気を呑ませ、そっと寄せます。ランディングネットまでは残り30cm。
「釣られた魚って、何で目玉が下を向いてんだぁ?」
なんて考えた瞬間、バシャッ!オット、危ない危ない。岩魚もメジナも黒鯛も、最後のアガキをしますねぇ。もう一度、そっと寄せて・・・ランディングネットから尾鰭をはみ出しながら、彼女は陸に上がりました。

「でっけぇ!父ちゃん、やったな!」
「おぅ、だけどオメエが出した岩魚ぁオラァが上げただから、二人で釣ったってもんかぁ?」
「うん、そうか知んねぇ」
「オィ、今日はもう下んねぇか?」
「うん、早く母ちゃんに見せらず」

まだ夜は明けきっていませんが、山を降りることにしました。里の田んぼ道で、弁当を広げましょうよ。朝日を眺めながら、ほのかな草いきれを感じて、握り飯を頬張りましょうか。

家に帰った時のカミサンの顔がたのしみですねぇ。 カミサン、岩魚が大好きなんですよ。